霊峰名久井岳(なくいだけ)と馬淵川(まべちがわ)にいだかれた青森県三戸郡南部町は、県内でも1年を通して1日の寒暖の差が大きく雨が少ない山間の気候を持ちながら湧き水が豊富ゆえ、さくらんぼやりんご、梨、梅、プラムなどの果物がたくさんとれる全国でも有数のフルーツの名産地です。その中でも自然の豊かさが育んだ特産品に、その昔、秦の始皇帝が菊を愛でるために建設した宮殿の名を与えられた食用菊『阿房宮(あぼうきゅう)』があります。
南部地方に古くから伝わる「阿房宮」は目に鮮やかな色合いと独特の芳香と甘み、そしてシャキシャキとした歯触りが主な特徴で、一説によると江戸時代に南部藩主が京都の九条家から観賞用として譲り受け、旧相内村(現南部町)で栽培してみたところ非常においしかったことから、食用として藩内に広められたと伝えられています。
「阿房宮」は生のままでも食べられますが乾燥させることで旨味と香りが凝縮され、長期保存が可能になりました。秋にしか収穫できない菊を季節関係なく食べたいという願いや冬場の野菜不足の解消のためにも干し菊は先人たちの知恵として進化した形なのです。
南部の秋を閉じ込めた干し菊は、さっと湯がくだけで鮮やかな彩りと味わいを取り戻し、一年中味わうことができます。
元祖エディブルフラワー(食べることができる花)「阿房宮」は古くは中国で漢方として使用されていました。ビタミン・ミネラルが豊富で心と体を癒す様々な効果があることがあることから、古くから薬膳として用いられ、近年改めて注目されてきております。
阿房宮は1年に一度きりの収穫しかできません。その収穫までの道のりは実に春先から始まっています。春先に芽が出た苗を畑とは違う別の場所で育て、6月半ばに長くなった根を寝かせながら畑に植えます。10月に入ると花のつぼみがつき始め、朝晩と日中の寒暖の差が大きくなると花が開いてきます。
しかし、デリケートな菊花は風雨の影響を受けやすく、天候によって収穫量が左右されます。その一番の大敵は霜です。10月下旬頃になると南部町には霜が降りますがそのまま放っておくと菊の花がやけて茶色に変色してしまいます。そのためシートや藁(わら)をかぶせますが、かぶせすぎると今度は菊の色づきが青くなってしまいます。太陽・気温・風などを見ながら、大事に丁寧に菊を育てます。
10月下旬頃には名久井岳の麓が満開になった菊花で黄色い絨毯のように美しく染まります。この収穫のタイミングも難しく、成長しすぎると花の黄色が抜けて茶褐色になってしまいます。
満開になった菊を収穫した後は直ぐに花びらをほかす(※「ほかす」とは花びらを額から離していく作業のことをいいます。)作業が待っています。収穫してすぐにほかす作業をしないと花がしなってくるのでベテランの作業で8時間、収穫の盛んな時期になると10時間も同じ姿勢でほかし続けます。花の命は短い。美しい黄色の食用菊にするための作業は、とにかくスピードが肝心なのです。
干し菊の工場では10人ほどのご近所ご婦人方が1年に1度のこの時期(菊の開花時期)に朝早くから集まりお手伝いをしてくださいます。蒸す温度や時間などは工場長の池端さんが代々受け継いている門外不出のもので企業秘密ですが工場長が自ら指揮をとり作業をしていきます。
ほかした菊の花びらを蒸します。蒸しあげたアツアツの菊の花びらを取り出したら、しばらく置いて水分を飛ばしたあと夕方から乾燥作業に入ります。
数時間にわたる乾燥作業は、蒸す時間やその日の気温、菊の花の大きさ・状態などによって変化するため、干し菊作りにとって重要な部分です。この一連の作業は代々受け継がれた門外不出の技によるものです。
乾燥し、成型された干し菊は熟練の技で一枚一枚、異物の混入などないようチェックしています。
青森県南部地方の「阿房宮」は生品が料理されることもありますが大半が干し菊となり、冬の食膳に華やかさを添えてくれます。この干し菊づくりは、名川町東円寺の板橋太観住職が開発し、教え聞いた清光寺の高山恵輪住職が地域へ普及させたと伝えられます。今から百年あまり前の明治30年頃のことだそうです。
南部地方で古くから親しまれている阿房宮は郷土の食卓に彩を添えてきましたが、食生活の変化や生産農家の高齢化また菊の栽培に手間がかかるなどを原因に、生産量・消費量・販売量ともに減少が進み、産地の課題になっています。そんな中、昭和20年頃から「阿房宮」を取り扱ってきた青森県南部町の村井青果は気軽に食べられる菊の加工食品の開発に力を入れています。
商品開発を担当する当社の3代目にとって「当たり前」の存在だった食用菊。その生産農家が急激に減少していく現状を目の当たりにし、幼い頃から慣れ親しんだ味が消えてしまうかもしれないという不安を抱いたことが阿房宮を使った新商品の開発への原動力となり、若い人や地元以外の人も気軽に楽しめる商品を作ろうと加工品開発に着手しました。
昭和20年頃から行商で関東や関西地方に干し菊を卸してきた青果卸業の会社でありながら、2015年に発売した「菊じゃむ」をはじめ、おかゆ、サイダー、ピクルスなど21年までに第7弾までの商品を開発し発売しました。また17年からは自社で食用菊の栽培も始め生産量確保に取り組んでいます。